表現の自由の規制の4パターン
あまりこの分類での説明を基本書では見ないけど、2008年有斐閣「憲法の争点」のp118 佐々木弘通先生の、言論の内容規制と内容中立規制という記事にいい説明があります。
1.内容規制かつ全面的規制
2.内容規制かつ限定的TPM規制(時、場所、態様)
3.内容中立規制かつ全面的規制
4内容中立規制かつ限定的TPM規制
という分類で、それぞれ具体例もありました。
一般的な基本書では、内容規制か内容中立規制かという分類だけして、内容規制だが限定的TPM規制の事例については、付随的規制とみて審査密度を緩めるという説明が多いと思います。たとえば、高橋和之先生の立憲主義と日本国憲法p225の、わいせつ図書の自販機への収納禁止について見ると、成年者への頒布の制限は内容規制だが付随的制約とみることができる、といった説明になっています。
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理解とは何かという考察
受験に限らないけど、理解ってなんだろうという話は前からある。
これは複数の観点から考察できると思うけど、一つの観点としては、以下のようなことが言えると思う。
ある概念、原理などについて、「…ということではなく〜ということである」というような理解が自分の中に蓄積されるほど、理解は最初より深まっているといえるのではないか。
その意味でも、他の本を読んでみたら「…ということではなく〜ということである」ということがかっこ書で書いてあったりして、教育的配慮があるなと思ったりします。最近だと、潮見先生の基本債権各論なんかでそう感じたりしました。
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本を多く買うべきか否か
受験生の場合、基本書や判例集などの本を色々買うべきか、一冊に絞るべきか、みたいな話は昔からありますよね。
僕のイメージでは、理解力がある人、理解力に自信がある人ほど一冊や二冊に絞っている、または絞っていいというイメージがあります。
でもある同じ事柄について、違う表現での記述や、違う観点からの記述も読むことによって理解が深まったり、そういうことか〜ってなることも多いと思うんですよね。自分は典型的なこっちのタイプで、山ほど本がありますw
まあ図書館にすぐアクセスできる環境かどうかっていうのもありますね。
一つ注意点は、受験生の場合は知識を細かい方に広げていくために読むのではなくて、ある基本概念や論点が一冊ではわかりにくい気がする、という場合にそこを他の本でも読む、みたいな使い方がいいと思います。